「京都人のための京都言葉検証講座(音韻・アクセント編)」でも少し触れたことですが、今日の京都及びその周辺地域では、「上げる ●●●」と「下げる ○○●」はアクセントが違うのに、「上がる ●●●」と「下がる ●●●」はアクセントがまったく同じです。
実はこれらの動詞のアクセントは、南北朝時代から明治の頭頃までの500年ほどは、次のように綺麗に対応していたのです。
| 上げる ●●● | 下げる ●○○ |
| 上がる ●●● | 下がる ●○○ |
ところが幕末の騒乱は京の町を荒廃させたのみならず、どうやら言葉の規範性を保とうとする人間の意識や作用までをもかき乱してしまったようで、『初期落語SPレコードの大阪アクセント - 資料と分析 -』(金沢裕之・金水敏・中井幸比古)という資料によれば、「上がる」類と「下がる」類とのアクセント区別は、明治維新前後を境に京阪地方では崩れてしまいました。
そして「上げる」類と「下げる」類との区別も、「下げる」類のアクセントを本来のものとは変えることで、何とか今日まで維持されつづけているという次第です。
この時代にアクセント区別が崩れてしまった例は、他にもあります。例えば現代の京都及びその周辺地域では、「朝日・命・青い・暑い」類も、「男・女・赤い・厚い」類も、どちらも ●○○ と発音されていますが、これらもやはり南北朝期~幕末頃までは区別されていて、前者「朝日・命・青い・暑い」類は ●○○、後者「男・女・赤い・厚い」類は ●●○ と発音されていました。
ではこれらのアクセント区別が乱れた結果、どういう問題が生じているのかについて解説いたしましょう。
その由緒由来がどうであれ、現在の日本において京ことばは単なる一方言に過ぎません。
そのためどれだけ美しい京ことばを話す人でも、京都を一歩でも出れば共通語をしゃべることが求められる状況というのは訪れるでしょうし、事実、現代に生きる京都人の多くが共通語で話した経験を有しているのではないでしょうか。
歴史的に、東京式アクセントは京阪式アクセントから派生したものですので、本来なら京都アクセントから東京アクセントを導き出すことは、「1拍ずれの法則」(高く発音する拍[●]を後ろに1拍ずらすこと)を用いれば簡単に行えるはずです。
ところが現代の京都アクセントには、上記のようなアクセントの乱れが存在するため、現実には京都アクセントから東京アクセントを導き出すことが一部できなくなっています。
下表をご覧ください。本来の京都アクセントと、現代の東京アクセントとの間には、「高く発音される拍(● で表されている拍)が1拍ずれているだけ」という綺麗な対応関係があることと共に、現代の京都アクセントではその対応関係が崩れてしまっていることがお分かりいただけるかと思います。
| 京都アクセント | 東京アクセント | ||
|---|---|---|---|
| 混同形 | 本来形 | ||
| 「小豆・頭・言葉……」類 | ●○○ |
あたま ●●○ |
あたま‐が ○●●‐○ |
| 「朝日・命・心……」類 |
いのち ●○○ |
いのち‐が
→
いのち‐が* ○●○‐○ → ●○○‐○ |
|
| 京都アクセント | 東京アクセント | ||
|---|---|---|---|
| 混同形 | 本来形 | ||
| 「上がる・当たる・笑う……」類 | ●●● |
あがる ●●● |
あがる ○●● |
| 「余る・祈る・動く……」類 |
さがる ●○○ |
さがる ○●○ |
|
| 「甘える・頂く……」類 | ●●●● |
あまえる ●●●● |
あまえる ○●●● |
| 「預かる・集める……」類 |
あずかる ●●○○ |
あずかる ○●●○ |
|
| 京都アクセント | 東京アクセント | ||
|---|---|---|---|
| 混同形 | 本来形 | ||
| 「赤い・厚い・甘い……」類 | ●○○ |
あかい ●●○ |
あかい ○●● |
| 「青い・暑い・白い……」類 |
しろい ●○○ |
しろい ○●○ |
|
| 「悲しい・冷たい・優しい……」類 | ●●○○ |
やさしい ●●●○ |
やさしい ○●●● |
| 「嬉しい・少ない・涼しい……」類 |
うれしい ●●○○ |
うれしい ○●●○ |
|
中でも特によろしくないのが(2)です。
アクセントそのものが崩壊してしまった地域を除けば、「上がる・歌う」類の動詞と、「下がる・泳ぐ」類の動詞とのアクセント区別を失っているのは、京阪神・北陸・名古屋近郊ぐらいのもので、日本全土を見渡せば区別する地域の方が多いのです。
しかし当の京阪神に住むほとんどの人は、このことに気づいていないようです。そのため、本人はちゃんとした共通語で話しているつもりなのに、東京アクセントでは「上がる・歌う/○●●」類と「下がる・歌う/○●○」類とが発音しわけられることに気づかず、うっかり「気温が‐上がる/○●●●‐○●○」などと言ってしまっている方を、しばしばお見かけします(余談ですが、アナウンサーや役者など、本来アクセントには注意しなければならないはずの仕事をしている方ですら、時々このミスをされています)。
京阪神出身の人が共通語を真似てもすぐお里がバレてしまうのは、このことが大いに関係していると言えるでしょう。
前述のようなアクセントの乱れは、実は京阪式アクセント分布域の中でも近畿中央部のみに見られるもので、近畿周辺部や四国などでは今でもアクセント区別が保たれています。
中でも土佐弁は特に保存状態が良いため、アクセントの専門書や辞典では必ずと言っていいほど京阪式アクセントの代表として、京都アクセントと並んで土佐弁のアクセントが取り上げられています。
しかしこれは言い換えれば、現代の京都アクセントが「京阪式アクセントの本流としての価値はあるが、京阪式アクセントの模範とするには問題がある」と見なされているからに他ならず、京都人としては何とも情けないような、やるせないような気持ちにさせられます。
さらに踏み込んで言えば、「東京を始めとする他の大都市では今も区別の保たれているものが、京都・大阪では失われている」というのも、あまり気持ちの良い話ではありません。
しかし不幸中の幸いと申しましょうか、京ことばは長く日本の標準語であったことが幸いして、京ことばのアクセントを記した資料というのはかなり豊富に残されています。そのため文献資料を基にすれば、上記3つのアクセント区別をかなりのところまで復元することが可能です(実際に復元してみたものはこちら⇒資料室・アクセント分類表)。
自分たちの言葉に誇りを持つためにも、今一度京都人のみならず京阪神に住む人々が、上記3つのアクセント区別を取り戻す日が来ることを切望してやみません。
| 該当する単語の例 | 本来形 | 混同形 |
|---|---|---|
|
「小豆・頭・扇・男・表/面・女・鏡・敵・刀・言葉・暦・境・雫・宝・袂・俵・剣・袴・東・袋・襖・仏・南・娘・社・蕨」類 また「余り(←余る)・願い(←願う)・光(←光る)」など、●○○型の動詞から来ている名詞(転成名詞)もこの類 |
あたま ●●○ |
●○○ |
| 「朝日・油・主(あるじ)・アワビ・あわれ・いとこ・命・神楽・鰈・心・小麦・姿・簾・襷(たすき)・タヌキ・力・情け・なすび・涙・錦・柱・火箸・蛍・枕・眼(まなこ)・紅葉・館(やかた)・わさび」類 |
こころ ●○○ |
| 該当する言葉の例 | 本来形 | 混同形 |
|---|---|---|
| 「上がる・当たる・洗う・荒らす・歌う・埋まる・植わる・送る・襲う・脅す・及ぶ・終わる・香る・欠かす・囲う・飾る・霞む・語る・通う・枯らす・変わる・嫌う・下る・暮らす・煙る・氷る・殺す・転ぶ・探す・誘う・触る・沈む・記す・救う・進む・座る・染まる・貯まる・誓う・違う・続く・繋ぐ・止まる・並ぶ・眠る・狙う・上る・呪う・外す・はまる・拾う・奮う・曲がる・祭る・学ぶ・回る・結ぶ・燃やす・もらう・譲る・渡る・笑う」類 |
あがる ●●● |
●●● |
| 「余る・祈る・動く・移る/映る・奪う・描く・選ぶ・起こる・落とす・思う・泳ぐ・下ろす・帰る/返る・掛かる・限る・叶う・構う・乾く・腐る・崩す・配る・曇る・焦がす・好む・困る・壊す・下がる・冷ます・閉まる・示す・育つ・反らす・倒す・叩く・頼む・頼る・作る・詰まる・照らす・通る・届く・直る・流す・為さる・願う・逃す・残る・除く・伸ばす・計る/図る・挟む・走る・話す・払う・晴らす・光る・混ざる・混じる・招く・守る・迷う・戻る・休む・分かる」類 |
さがる ●○○ |
|
| 「与える・扱う・甘える・頂く・伺う・失う・疑う・遅れる・行なう・教える・重なる・固める・聞こえる・比べる・沈める・従う・優れる・進める・費える・伝わる・続ける・繋がる・潰れる・弔う・並べる・始める・広がる・震える・纏まる・認める・報いる・忘れる」類 |
おそわる ●●●● |
●●●● |
| 「商う・預かる・集める・謝る・現す・恐れる・覚える・構える・清める・極める・崩れる・壊れる・定まる・静める・育てる・倒れる・助かる・尋ねる・例える・届ける・眺める・逃れる・離れる・広まる・深まる・隔てる・乱れる・求める・休める・喜ぶ・別れる」類 |
あつまる ●●○○ |
| 該当する言葉の例 | 本来形 | 混同形 |
|---|---|---|
| 「赤い・浅い・厚い・甘い・荒い・薄い・疎い・遅い・重い・堅い・軽い・キツい・暗い・煙い・つらい・遠い・眠い・丸い」類 |
あかい ●●○ |
●○○ |
| 「青い・暑い・淡い・痛い・旨い・偉い・多い・惜しい・痒い・からい・臭い・黒い・怖い・寒い・渋い・白い・狭い・高い・近い・強い・長い・苦い・憎い・鈍い・緩い・早い/速い・低い・酷い・広い・深い・太い・古い・欲しい・細い・不味い・惨い・脆い・安い・緩い・弱い・若い・悪い」類 |
あおい ●○○ |
|
| 「明るい・怪しい・悲しい・冷たい・優しい」類 |
あかるい ●●●○ |
●●○○ |
| 「嬉しい・幼い・賢い・可愛い・厳しい・悔しい・苦しい・少ない・涼しい・鋭い・切ない・正しい・楽しい・小さい・短い」類 |
うれしい ●●○○ |