■京ことばのススメ■


■過小評価されている「京ことば」

 今、京都の人に自分たちの言葉をどう思うかと問うたら、たいていの方は、「自分の使てる言葉は愛着あるけれど、さすがに『どす』とか『おこしやす』とか言うのはもっさい(野暮ったい・格好悪い)感じがする」というようなことを仰るのではないでしょうか。
 また他府県の人から「京都では『そうどす』とか『おいでやす』とか言うんでしょ?」と問われたら、たいていの京都人は「今時あんな言葉づかいする人なんかいいひんわ」と、なかば怒るようにして答えるのではないでしょうか。

 しかし他の地方の方がこのような質問をするのはほとんどの場合、「うんと言ってもらえたなら、ちょっと生で京ことばを聞かせてもらおう」という期待があるからであって、別にからかい目的や、京ことばをバカにしているからではありません。
 にも関わらず、かのような質問が投げかけられると否定的な態度をとってしまう人が多いのは、ある年代以下の京都人の間に、「伝統方言であるところの京ことば=もっさい」という卑屈な見方がすっかり根付いてしまっていることの現れだと言えるでしょう。

 しかし「京ことば=もっさい」という考えは完全に京都人の思い過ごしです。もっとも、かくいう私も子供の頃は「そうどすえ」などという言い方には抵抗を感じていたうちの一人でしたが、後に京都から出て外から京都を見る機会を得てみると、伝統方言というものに対する考え方がガラッと変わりました。東京も含めた非近畿圏において「京都」というのは一つのブランドのようになっていて、そこでは私がかつて否定的に捉えていた「あんな言葉づかい」も、京の雅やかさの象徴として見なされることが多いのです。

 それゆえ、せっかく京ことばに興味を持ってくれた人に対して「今時あんな言葉づかい~」などと切って捨てるような言い方をするというのは、相手をがっかりさせたり、京都のイメージを下げてしまったりするばかりで、実のところ何の得にもなりません。他の地方の方たちからすると、伝統方言色が薄い話し方は単なる「訛った共通語」や関西弁の一種にしか聞こえず、京都らしさを感じることができません。伝統方言ならではの魅力というのは存外大きいのです。

 しかし残念ながら、京都に住む人の多くはこのような認識のギャップに気づいていらっしゃらないように思われます。いくらよその地域の方から好印象を抱かれようとも、当の京都人がその価値を認識していないがために衰退する一方の京ことば。何がこのすれ違いの元となっていて、そしてどうすれば京ことばの再興へとつなげられるかについて少し考えてみました。


■どうして東京言葉に置き換わってゆくのか

 京ことば衰退の背景にあるのはまず間違いなく、「方言色が濃いのは格好悪い。薄い方言=東京言葉よりの言い方のほうが好ましい」という風潮です。それはつまるところ「東京言葉こそが模範的である」という価値観が根本にあるからなのですが、そもそもなぜ東京の言葉が模範的とされるのか、まずここから考えてみたいと思います。

「なぜ東京の言葉を模範的と考えるのか」

「首都の言葉だから」

これはよく言われます。しかし実際のところ地方に住んでいると、日常生活の中で東京を意識することはほとんどありません。それゆえさほど関係ないと思われます。

「テレビに出てくる人がしゃべっている言葉だから」

これは多少関係ありそうです。特にNHKのアナウンサーが話しているというのは、地方の人間に「東京の言葉=模範的」という印象を与えるのにかなり寄与していそうです。
(そういう意味では、地元局であるKBS京都などは、京滋のニュースぐらい京ことばで読んでくださっても良さそうなものですが……)

「書籍が東京の言葉で書かれているから」

ここで言う「書籍」とは、小説・雑誌・漫画などは言うに及ばず教科書も含みます。また歌の歌詞もこれの延長線上と言えるでしょう。
中でも教科書の影響は特に大きそうです。どんなに本を読まない方でも必ず目にするものですし、何より「学校で習った言葉」という意識がもたらす影響は計り知れないように思えます。

 こう考えていくと、どうも京ことば衰退の元凶は(3)+(2)にありそうな気がします。


■京ことば再興の鍵~「とにかく書いてみよう」

 理想を言えば、小学校辺りで「郷土の言葉」という授業でも組んでいただいて、地元の古老の方に教鞭を振るっていただくのがベストなのでしょう。小さいうちに「そうどす」「よろしおす」などを使って実際に会話してみた経験があれば、それだけでも状況は劇的に改善されるはずです。また観光客の方相手にご商売をされている方でしたら、接客の際には割り切って伝統方言を使用されてみるというのも良い影響があるのではないかと思われます。
 でもこればかりは個人にどうこうできるものでもありませんから、まず個人個人にできることとして、「京ことばの文章を書く」ということから始めるのがベターだと思います。

 もちろん公的なものに書くのはさすがに厳しいでしょうから、当面は私的なものに遊びで書くというスタンスで充分でしょう。
 遊びであろうが何であろうが、とにかく多くの人が京ことばの文を書くことで、京ことばそのものに対する関心を高め、京ことばに慣れ親しんでゆくことが今もっとも重要だと考えます。


■京ことばで話す日

 普段の話し方まで京ことば風に切り替えることは、周囲との兼ね合いもあってなかなか難しいものがあると思います。しかしある程度の年齢になりますと、周りと同じようにすることと自分のしたいようにすることとの優先バランスが変わってくることもありますので、そのような境地に達したら思い切って、普段の話し言葉を京ことば風のものへと徐々に切り替えることを検討されてみてはいかがでしょうか。


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