京都人のための京都言葉検証講座
(音韻・アクセント編)

目次


検証1 「麻」と「朝」の言い分け、大丈夫ですか?

「麻は・今は・中は・今日(きょう)は・空は」類と
「朝は・春は・秋は・雨は・声は」類とでは、 アクセントが違います!

 「麻は・今は・中は……」類は本来、 [あさ] [いま] [なか] [きょう] [そら] と、上り調子で発音すべきものなのですが、最近これを [] [] [] [きょ] [] と、最後を下げて発音なさる方が増えているようです。

 これではもとからこういうアクセントの [(朝は)] [(春は)] [(秋は)] [(雨は)] [(声は)] 類と一緒になってしまいます。
 事実「麻は」と「朝は」のアクセント区別ができない方、結構いらっしゃるんじゃないでしょうか。

 こんな奇妙な発音がはやる背景には、この「麻-は・今-は」類と「朝-は・春-は」類が東京では共に [まは] [るは] という風に、下り調子で発音されることの影響がありそうです。
 つまりテレビやラジオなどで東京のアクセントを耳にするうちに、京都言葉の中にもこの音程の下がり目を無意識のうちに持ち込んでしまっている可能性があります。

 いずれにせよ今ならまだちょっとした注意で直ることですので、正しく発音したいところです。

※なお、どの言葉が[いま(今は)]型で、どの言葉が[(春は)]型なのか自信がない方は、資料室にあるこちらの表をご覧ください。



検証2 「う」で始まる動詞にご注意

木は「植える/●●●」もので、「飢える/○○●」ものではありません。

 高い「う」で始まる動詞が近頃、低い音で始まる動詞として発音される傾向があるようです(下表参照。遅上がりは反映済み)。

高い「う」で始まる動詞が訛る傾向

本来
失せる●●●○○●
植える●●●○○●
埋める●●●○○●
埋ずまる●●●●○○○●
埋ずめる●●●●○○○●
埋ずもれる●●●●●○○○○●

 なぜこのような現象が起こりだしたのかは分かりませんが、京都では濁音や鼻音の前の「う」が、撥音化(「ん」になること)しやすいことと関係があるのかもしれません。

 この現象により、「植える/●●●」←→「飢える/○○●」のアクセント区別が出来ない方が増えているようで、「木ぃを植えた/○○●-○●○」のような発音が聞かれます(本来は「植えた/●○○」)。



検証3 幕末のどさくさで乱れたアクセント

「上げる/●●●」と「下げる/○○●」とはアクセントが違うのに、
「上がる/●●●」と「下がる/●●●」とはアクセントが同じである理由。

 今の時代に生きる私たちには責任のないことですが、京都では、幕末から明治にかけてのどさくさによって町が荒廃したのみならず、言葉の規範を保とうとする人の心までもがかき乱されてしまったようで、この時期はアクセントまでもがかなり乱れてしまいました。
 このことは、現代京都のアクセントと、今なお近世京都のアクセントを保持しつづけている高知・土佐弁のアクセント、そして京阪式アクセントから派生した東京アクセントとの3つを比較してみると、よく分かります。

3拍語のアクセント比較(乱れている個所のみ)
品詞と言葉京阪式アクセント東京アクセント
現代京都近世京都
現代高知

「小豆」「表・言葉」類 ●○○ ●●○ ○●●(‐○)
「鮑・山葵」「朝日・命」類 ●○○ ●○○

5段1組「上がる・歌う」類 ●●● ●●● ○●●
5段2組「下がる/泳ぐ」類 ●○○ ○●○


1組「赤い/遅い」類 ●○○ ●●○ ○●●
2組「白い/高い」類 ●○○ ○●○

 このように、他の地域や昔の京都ではアクセントが区別されている(されていた)単語同士が、現代の京都では区別されていないのです。

 この問題は少々長い話になるため、別に「京都周辺部でのみ失われてしまったアクセント区別」という専用のページを設けて、より詳しく解説しております。
 もし興味を持っていただけましたら、是非ご覧ください。


 京都に暮らしたことのある方ならご存じでしょうが、京都人というのは非常にインテリ志向の強いようなところがあり、そのせいか言葉にしても、テレビや新聞、書籍のような言い方に倣うことを良しとするような風潮がどこかしらに漂っています。
 その結果、他の地方都市同様、京都でも年々東京の言葉が浸透してきているようで、最近ではちょっと改まった場になると、京都人同士の時でさえ東京風の言い回しで話す方がいらっしゃる次第です。

 しかし言葉はその土地その街の文化と密接に絡み合っています。自分たちの言葉を捨てることは自分たちの文化を捨てることにもつながります。
 京都が守るべきものは、景観や風習や伝統工芸だけではなく、むしろ1200年もの長きに渡り、京の文化的営みを支えてつづけてきたこの言葉こそ、もっとも顧みるべきものなのではないでしょうか。

以下・続く


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