■京ことばつれづれ帳■~京ことばで色んな事をつづってみようという試み~

もくじ


◆京ことばはいつから「京ことば」やったか

 京ことばがいつから京ことばやったかなんてけったいな題やと思われるかもしれません。これはつまり、京ことばはいつから今のような姿になったかという意味どすにゃが、おそらく「幕末から明治にかけて」ではないやろうかと考えられています。

 と、これで終わってしもうては何どすさかい、ここから少し話を広げてみましょう。

 仮にタイムマシンが発明されたとして、現代の京都人がそのタイムマシンに乗って時代を遡ってゆくとします。そうしますとどの時代まで遡った時、その時代の人との意思疎通ができんようになりますやろか。

 まず大正~明治後期(20C前半)。この辺りは私たちの祖父母の時代どすさかい、まったく問題ありません。ついで明治前期~幕末(19C後半)。この時代もほとんど問題はおへんやろう。
 しかし江戸時代後期~中期(19C前半~18C)ぐらいまで遡りますと、敬語表現の違いによる感情の行き違いがしばしば起こり、少々面倒なことに巻き込まれるかもしれません。しかし意思疎通の妨げになるということはおへんやろうさかい、会話そのものはちゃんと成り立つはずどす。

 それでは江戸時代も前期(17C)になるとどうどすやろか。この時代の上方語には、まだ中世語的特徴が多分に残っているため、「お互いに相手のしゃべっている言葉が日本語やとは分かるものの、あまりに聞き慣れぬため少し戸惑う」というようなことになりますやろう。

 さらに遡って安土桃山~戦国時代(16C~15C中旬)に突入しますと、もう完全に中世語の世界どす。ここから先の時代は、古典文法の知識のない方は意思疎通がかなり難しゅうなりますやろう。

 結論としましては、現代に生きる京都人が何の予備知識もないまま放り出されても何とか意思疎通が図れるのは、江戸時代の頭(17C中頃)頃までと言えそうどす。


◆京ことばは女言葉?

 京ことばの評価として、よう「女っぽい」とか「女の人が京ことばをしゃべるのは良いけど、男がしゃべるのはちょっと……」というようなことを耳にします。
 このように「京ことば=女言葉」と見なされる背景に、祇園の芸妓さんや舞妓さんのイメージが強う反映されているのは間違いおへんやろうが、その他にもう一点、京ことばには女っぽいと見なされてしまう宿命的な要素があるようどす。

「女っぽい言葉」について語る時、「京ことば」と並んでもう一つ忘れてはならぬのが東京の言葉どす。と、こう書きますと、東京で生まれ育った方から反論が起きそうどすが、実際のところ東京言葉は、他の地域の人からしばしば「気取った感じがする」「女の子がしゃべっている分には良いけど、男がしゃべっているのは抵抗ある」という言われ方をします。
 まあ気取っているかどうかは置いておくとしまして、ここで注目すべきはその次の部分、そうどす、東京言葉も京ことば同様、「男にはあまり似つかわしゅうない、女っぽい言葉」と見なされることがちょくちょくある、という点どす。

 日本各地には様々な言葉=方言がありますが、たいていの方言はむしろ男性的なイメージで捉えられることが多いようどす。たとえば「広島弁」や「博多弁」「鹿児島弁」などを「女性的」と感じる日本人は、あまりいんのではおへんやろうか。
 ざっと見渡してみても、日本語において「女性的」と言われることがあるのは、「京ことば」と「東京言葉」ぐらいのものどすやろう。
 しかしなぜこの2つの言葉だけが、そのような印象を持たれますんやろか。

「京ことば」と「東京言葉」の背景にあるものを考えた時、真っ先に思い浮かぶのが「京都と東京、共に『首都』を経験した(している)都市の言葉や」というこっとす。首都というのは各地から人が集まってきますさかいに、見知らぬ者同士が会話する機会も多うなり、自然と「相手との適切な距離を探るしゃべり方」が発達するといいます。
 こうした話し方は時として「心がこもってへん」「上辺だけでしゃべっている」と非難されもしますが、一方でそれは「相手の気分を害することの少ない、穏やかで洗練されたしゃべり方」でもあります。
 つまり首都の言葉が時を経るごとに洗練されてゆくのは、ある意味において必然であると言えます。

 そうした時、ここにある一つの仮説が浮かびます。それは「言葉は洗練度が増すと、女性ぽい響きを帯びるようになるのではないか」ということどす。

 事実、東京言葉を「女言葉みたい」と言う人でも、東京言葉の前身である江戸弁を「女性的」とはおそらく言わはらしませんやろう。むしろ多くの日本人にとって江戸弁は、男性的な言葉の部類に入るのではおへんやろか。
 結局東京(江戸)が首都になったさかいにこそ、男性的な江戸弁は洗練されて女性的な東京言葉へと変質していった、と言えますやろう。

 この仮説は日本だけやなしに、ヨーロッパに於いても当てはまりそうどす。中世以降、長きに渡って欧州全体を代表する都であったパリのフランス語は、やはり女性ぽい響きを持つ言葉どす*1

 そう考えてゆくと、「京ことばは女っぽい」と言われることは、京都人としてむしろ誇りと受け止めて良いのではありませんやろか。結局それは「京ことばがそれだけ洗練されている」ということを意味するんどすさかい。
 京の男性のみなさんも、臆することのう京ことばを使うてみてはどうどっしゃろか。


◆京都の地名は必ずしも字の通りに発音されんという話

 街の歴史が古いせいか、京都の地名には「発音は変わってしもうているのに、表記だけは昔のまま」という状態になっていて、結果として文字と発音とが一致せんものがようけございます。

 有名なところから例を挙げますと、たとえば「烏丸」というのがあります。一見すると「からすまる」と読めそうどすが、実際には「からすま/○●○○」と読みます。
 しかしこの「烏丸」は駅名表示などでもちゃんと「からすま」とルビを振ってあるだけまだ良い方どす。中にはもっと凶悪(?)なものがあります。

 たとえば「七条」という通り名には、駅名表示でも「しちじょう」、ローマ字でも「SHICHIJŌ」とルビが振られていますけれども、地元の人間は普通「ひちじょう/●●○○」とか「ひっちょ/●●○」「ひっちょう/●●○○」などと言うています。

 また東山にある「知恩院」も同様で、字では「ちおんいん」どすが市内の人間はたいてい「ちおいん/●●●●」と呼んでいます。

――続く――


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